近年、市街地やその周辺における野生動物の出没が社会問題として激化しています。
メディアが伝える被害の様相は多岐にわたります。あるゴルフ場では鹿の出現に伴う急ブレーキで芝生が荒らされ、営業上の損失が出ていると報じられました。また、住宅街では民家の花壇や鉢植えが食い荒らされ、生活環境を脅かされた住民の切実な憤りが伝えられています。象徴的だったのは、深夜の高速道路でトラックが鹿を跳ねた事故のニュースです。車体の破損状態と「ドライバーは無事」という事実は強調されたものの、衝撃の瞬間の映像が流された後に、命を落としたであろう鹿に対する配慮や言及は皆無でした。
さらに、熊による被害報道も連日続いており、現在では事前の捕獲許可がなくとも、現場の行政や警察官の判断で即座に射殺が可能な体制へと運用が見直されています。
地方の生活基盤や、農業・林業を生業とする人々にとって、これらの被害は生存をかけた死活問題です。現場で日々命の危険に直面しながら対策にあたる当事者たちの駆除判断を、安全な場所にいる者が批判する資格などありません。
しかし、この問題の「根源」にある構造的な原因から目を背けるべきではないと感じます。野生動物の生息地を開拓して切り開き、彼らの食糧を奪ってきたのは他ならぬ人間です。近年の生態系を狂わせている地球温暖化も、その根源を辿れば人間の経済活動に行き着きます。人間側の都合によって窮地に追い込まれた動物たちが、生存のために人里に現れる。それを一方的に「害」と定義して蹂躙し、彼らの最後の抵抗に対して容赦なくとどめを刺しています。これは構造的に、極めて悪質な「いじめ」の構図と同じではないでしょうか。
人間はかつて、人類という同族間でも凄惨な搾取と権利の剥奪を行ってきました。1500年代初頭に始まったアフリカ黒人奴隷の歴史は、法的な人権の保護が動き出す1860年代を経て、社会的な公民権が一定の担保を見る1960年代半ばまで、約400年もの闘争の歴史を必要としました。
同族間における人権の確立にすらこれほどの歳月を要した人類が、他族であり、さらに言葉を持たない動物の生命や尊厳に目を向け、真の意味で守れる日は来るのでしょうか。
単なる力による排除を繰り返すだけでは、根本的な解決にはなりません。気候変動や環境破壊が進む今、私たちはただ動物を排除するのではなく、互いの領域を明確に分かつ「境界線の再整備」や、都市と自然の間に緩衝地帯を設けるといった、抜本的な共生の仕組みづくりに着手すべきではないでしょうか。

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